Epifania tutte le feste le porta via
Buon Anno 2012! 今年はお祭りをキーワードに、旬のイタリア便をお届けしていきたいと思います!
さて、イタリアでは長いクリスマス休暇がようやくあけました。冬休み気分も抜けて、新年が本格的にスタート!ということで、今回はバカンスに終止符を打つ1月6日の Epifania(エピファニーア)の祭日にまつわるお話しです。
日本では主顕節や公現祭と呼ばれるEpifania。イタリアではもともとキリスト教の祭日として祝われ、東方の三博士が幼いイエスを礼拝しに訪れたこと を記念する日でした。現在ではBefana(ベファーナ)とも呼ばれ、おばあさんの魔女が子供にプレゼントを持ってくる日としても盛んにお祝いされていま す。暖炉などにはプレゼントを受け取るためのソックスが吊るされ、一年いい子だった子にはお菓子やプレゼントが、悪い子には炭(!)が贈られます。
Befanaの 祭 りは、冬至を境に古い一年が終わり新年を祝う古代の民間信仰から発展しました。Befanaの魔女が老婆であることは古い一年を象徴し、また魔女であるこ とはキリスト教ではない異教の祭りという概念と結びついたためであり、プレゼントの風習は古代ローマの祝祭を受け継いだから、または東方の三博士がイエス に貢物をもっていったから、などと説明されています。
さて、 epifaniaとbefanaという言葉。どちらも古代ギリシア語の動詞ἐπιφάινω (epifàino)が起源とされています。派生名詞ἐπιφάνεια (epifanèia)を経てイタリア語のepifaniaとなり、そこからさらにbifanìa、befanìaと変形してbefanaが生まれまし た。Epifaniaのもともとの意味は「顕在、出現」。キリスト教では、三博士の前にイエス様が現れたように奇跡などを通して神様の存在が我々の眼に明 らかになることを指します。
20世紀文学においてはepifaniaという言葉が重要なテーマを表しました。19世紀から我々の世界観は大きく変わり、時間の概念は二極化されます。 時計で計れるような自らの外に流れる客観的な時間と、自らの内にある一瞬一瞬から成る主観的な時間。内なる時間とは、単調な時間の流れの中で突然にして魂 が揺さぶられるような瞬間であり、ジョイスはそれをepiphanyと名づけました。詩人モンターレはoccasioneと、プルーストは intermittences du cœurと呼ぶなど名称は異なるものの、多くの文学者がこの「生に満ちた一瞬」の表現を模索しました。
止まぬ雨などないように、終わりのこない休暇はない…。会社や学校の再開に「Epifania tutte le feste le porta via!」とため息混じりにつぶやくイタリア人も少なくありません。しかし、彼らが日常の生活に戻り、今年もそこに宿るepifaniaの輝きを謳歌して いくであろうことは疑う余地もありません!!
*当記事は2012年1月10日付けで、公益財団法人 日伊協会のサイトで紹介されています。