Bar バール

イタリア語の勉強をしていると、よく出てくるシチュエーションにBARなる場所がある。日本語でいうところの「バー」と綴りは一緒だけれど、テキストに載っている会話の内容を見てみるとどうも雰囲気が異なる。気になって辞書で調べてみると、「バール、喫茶店、バル」とあり、小学館の伊和中辞典によれば「barはカプッチーノやエスプレッソなどのコーヒーや酒類、サンドイッチなどを飲食する『喫茶店』であり、日本の『バー』とは異なる」と説明されている。

飲食できるものは日本の「カフェ」が近いけれど、何よりも違うのは生活密着度。たいていの人は行きつけのバールがあって、そこで朝食をとったり、仕事の合間にコーヒー休憩をとったり、バリスタや常連客と言葉を交わしたり、新聞に目を通したり…、と生活の一部をなしている。学生生活にも欠かせない場所で、大学生や留学生は次の授業に備えてコーヒーで目を覚ましたり、授業をエスケープしておしゃべりに花を咲かせたりしている。

とにかく驚くのは、コーヒーの美味しさと値段の手ごろさ。特に名高いナポリのコーヒーは最高で、一口すすって気絶しそうになった。そして味とともに驚きなのが、提供しているコーヒーの多様さ。エスプレッソ、カプッチーノ、カフェラッテは当たり前のバリエーション。「泡なしでぬるめに温めた牛乳で作ったカフェ・マッキャートをガラスのカップで!!」なんていうこだわりの注文も珍しくない。

この辺、イタリアだなぁ、とつくづく思ってしまう。一人ひとり違うことが当たり前で成り立っている社会。たとえて言うならば、制服から一番遠い場所。もちろん、規律や道徳はあるけれど、人と同じ行動をすることが前提とはなっていない社会。画一化、という意味でのスタンダリゼーションから遠い世界。だからイタリアはとても人間くさくて、それを求めてやってくる人を大勢見る。